常設展
▼ 広間の展示エリア 門廳展示區
1925 年に建てられた文萌楼は、日本統治時代から 2001 年に公娼制度が廃止されるまでの、台北市の性風俗産業の歴史を刻んでいるところです。
2021 年 9 月に丁寧にリフォームされた文萌楼は、広間や執務室などを再現することで歴史の軌跡を保存し、台湾における日本統治時代の性風俗産業の発展史と近代台湾の社会運動の記録を展示しております。
▼ 執務室(再現された部屋)
執務室の広さは、それぞれ 2~3 坪ぐらいと狭く、内装はとてもシンプルで、性的なサービスを行う際に使用する、ティッシュペーパー、個人用の洗浄剤、潤滑剤のみを提供していました。部屋にはサービスの快適さを向上させるために、ライター、灰皿、スリッパー、ブランケット、扇風機と電気ストーブが備え付けてありました。
▼ 執務室展示エリア<台湾における性教育の進展>
河川港の商業貿易の発展とともに盛んになっていった台湾の性風俗産業。公娼権利を守る拠点から、市指定の古跡になるまでの文萌楼の変化と生まれ変わりの過程と、何度も改正し実施された娼妓管理法令の歴史は、物議を醸しすが必要な存在であるということを浮き彫りにしました。
▼執務室展示エリア<台湾における性教育の進展>
日本統治時代の台湾では性規範を重んじていたため、「生理衛生学」はほとんどが独学で学び、その教育は行われていませんでした。そんな神秘的な「健康教育の14章」はフェミニスト改革の声で男女平等教育の誕生を促し、「バラの少年」の死がさらに台湾をアジアで最初のジェンダーレスの教育制度を導きました。
▼ 執務室展示エリア< 古跡の中の D ドライブ>
何千年もの長い間も衰えることのない「性」への興味。文明が発展している所のほとんどで、成人向けの出版物が発行されています。その魅力は何千とある法の網を搔い潜り、時とともに進展していった風俗産業は、遮られれば遮られるほど露わになっていきます。
▼ 文萌楼年代記文萌樓
1820 年の清朝から日本統治時代、台湾光復時代からさらに近代までの歴史を刻みながら発展していった文萌楼を紹介しています。
▼ 建物の特徴と帰綏街の文萌楼のリフォーム
建物本体の外観はシンプルで何の装飾もなく、建築法規とビジネススタイルに合った構造をしており、当時の時代背景を反映したこの建物は、その外観の特徴から現代主義後の産物と数えることが出来ます。
「帰綏街文萌楼」は日本統治時代に建てられたもので、当初は「永楽土地建物株式会社」が所有していました。民国 95 年に台北市指定の古跡になることが発表され、台北市政府文化局は民国 109 年(2020年)5 月 20 日に修復企画を承認、民国 111 年(2022 年)2 月末にリノベーションが完成しました。
▼ 元家主林一桂さんの住まいについて
民国 12 年(1923 年)生まれの元家主の林一桂さんは、民国 38 年(1949 年)に国民政府とともに単身で台湾に来た後、あるきっかけで従兄が経営していた文萌楼の財産権を受け継ぎ、政府が公娼制度を廃止した後も今日までここに居住しています。
▼公娼についての文献と歴史資料
当館は、民間のコレクターと公共機関の協力を得て、性風俗産業に関連する歴史的資料を収集しています。現在も収集されている文献は、文萌楼で公に展示されており、皆様の台湾における性風俗産業の歴史について、理解を深めていただけたらと思っております。
▼ 夜の文萌楼
館内ライトアップ時間は毎日 18:00 から翌朝 6:00 まで。(無料)